育児しながら自分の人生も模索

父のすい臓がんの闘病について①

2020/08/28
 
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前に父がすい臓がんのステージ4という記事を書きました

その時すでに余命一ヶ月ほどだろうと言われていました

ブログに書いてからすぐの

四月の下旬に亡くなりました

亡くなってから4か月を過ぎまして

ようやくブログに書く気持ちになりました

すぐに書かなかったのは自分に余裕がなかったこともありますが

誰かに重い気持ちを落としたくなかったという事もあります

先月、三浦春馬さんが亡くなって

みんなが少し重い気持ちになりました。

毎日のように亡くなる人がいても

それが具体的になると 悲しい気持ちになるものです

三浦春馬さんのことはまたいつか書きたいと思いますが

今日は父のことを書きます

父は2019年9月に 糖尿病の病院にて

「リンパが腫れているので、大きい病院に行った方がいい」

と言われてから 総合病院に行って

2019年10月に 『すい臓がんステージ4 根治治療じゃなく延命治療になります』

と言われました

そこから抗がん剤治療が始まり

1,2か月は外食にも行けて

ちょっと調子悪そうにしていましたが 孫と散歩に行く元気はありました

抗がん剤を始めて2か月くらい経ったときに味覚障害が出て

食事について 不平不満が (苦笑)

父の性格は 頑固で一度嫌いと思ったら 嫌いを通す

融通が利かない 怒りやすい人でした

だから、味覚障害が始まってから

食事にもうるさくて

これは結構最後まで家族を悩ませました。

「起きるのがつらい、力が出ない」

と訴えるので

ウィダーインゼリーなど食べやすいものを勧めても

「美味しくないから、食べたくない」

と。。。

食べないと体力がなくなるのは当然なのに

家族が説明しても聞いてくれないんです

あとは

抗癌剤の影響で足と手に力が入らなくなって自分の力で歩くことが

難しくなりました

最初は杖で歩ける状態でしたが

元々大柄なこともあり、すぐに車椅子での生活になりました

車椅子になったことで

自分で病院にも行けないし

車を運転する事もできない

生活全般に家族の介護が必要になりました。。。

10月に宣告されてから

12月には肝臓の数値が悪くなり、入院することになりました。

約1ヶ月の入院でしたが

病院食の蓋が開けられない(手にも麻痺がある)

という理由で誰かが昼食時に介助に通う生活もしていました

私も子供2人の自分の生活を回すのに日々精一杯なのに

昼食の蓋を開けるのに呼ばれるのは 正直うんざりしちゃいました

看護師さんに頼んだらいいんじゃないの?と言いましたが

忙しそうな看護師さんに頼みづらいことと

看護師さんによっては「リハビリになるから、自分でやってみて」

と言われる方もいるようで頼むのがイヤだと言われました

続く

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