父のすい臓がん闘病について②

「告知された人間が一番辛い」
それはその通りです
父は告知されるまで仕事をしていて
春には仕事を辞めてのんびり過ごそうと決めたばかりの頃でしたから
父の落胆は相当なものだったと思います
病気の発覚前には
「来年お夏休みは俺も仕事辞めてるから、孫を泊まらせて面倒を見れるぞ!!」
と楽しそうに言っていた姿が思い浮かび、その楽しそうな姿が
叶わない夢みたいになってしまったんです
癌家族の難しさにも直面しました
永遠に続くわけじゃないと思いながらも(かと言って期限があると思っているわけでもない)
父のわがままに全部付き合えない私の気持ちもある。私の生活もある。
昼食の介助で呼ばれることに疲れていたし、
単純に娘として
父が弱っていく姿を直視する時間が
辛く、重く、嫌な時間でした
入院中、父は退院するのを嫌がりました。
先生にもできるだけ入院していたいと訴えていました。
それは、家に1人でいるのが嫌だという理由でした。
もし、倒れたら。トイレに行けなかったら。
同居の家族は働いていたので日中の1人の時間が恐怖のようでした。
ただ、いつまでも入院してるわけにはいかないということで
先生の提案で1泊2日の外泊をしました
そしたら今度は一転して『退院したい』を連呼するように(笑)
外泊して家の居心地の良さと
お風呂に入れる幸せを思い出したようです( ・∇・)
40日ぶりに家に帰った父は幸せそうでした
私も昼食の介助に通わなくて良くなったので
ホッとしました
ただ、この頃コロナが増えてきて
気軽に子供達を連れて実家に行く事が難しくなってきました
父の負担になっても行けないし
当時小学4年生の娘と年中の息子になんて説明していいのかも
悩むところでした
子供への告知はまた改めて書きたいと思いますが
私を当時から今も悩ませているのは、
「大好きなじぃじが病気になって、死んでしまったことを子供にうけとめさせる」ことです
今も娘は時折 号泣します
家に戻った父は同居の母と長男(私の弟)に介護をして貰いながら
生活することになりました
もちろん、要介護認定も受けて
ポータブルトイレや介護ベット、要所要所には手すりをつけて
車椅子や歩行器もレンタルしました
同居家族は大変だったと思います
父は癌が発覚してから 常に泣いていて
うつ病を発症していました
強かった父が 死を前にして 涙を流して弱音を吐く
私には想像した事もない世界が広がっていました
父も辛かったと思う
でも、私も辛かった
続く